私たちはものごとの一部だけを見たり、自分の知っていることだけで、それがそのものの全てであるかのように思ってしまいがちです。できるだけ一面的でなく、視野を広げて多面的な視点でものごとを捉えることが必要な場合もあります。
また同じものを見ていても、その表現の仕方が人によって異なることもあったり、部分(それぞれの表現・意見)の総和は必ずしも全体にはならないことにも気をつけるべきです。(いろんな意見があっても、それぞれが同じ木を見ていたなら、森を見ていません。)
“六人の盲人と象”という話では、六人が象を触ったのですが、
- 一人目は象の鼻に触り、「象はヘビのようだ」、
- 二人目は象の耳に触り、「象はうちわのようだ」、
- 三人目は象の足に触り、「象は木の幹のようだ」、
- 四人目は象の胴体に触り、「象は壁のようだ」、
- 五人目は象のしっぽに触り、「象はロープのようだ」
- 六人目は象の牙に触り、「象は槍のようだ」、
と言い、六人はそれぞれの意見を譲らなかったといいます。
ここで整体の話になりますが、
例えば腰痛があったとして、
1、とりあえず腰の負担をとる
2、腰痛が出ない体にする
3、腰痛に限らず故障しにくい体にする
4、身体に限らず精神とか人格とかまで変える
などと、どこを目指すかによって整体にもいろいろとあるわけで、どれがよいどれが悪いではありません。
私は3や4を目指したりするわけですが、患者さんは必ずしもそういった人ばかりではなく、確実に悩みを把握していければなと思います。
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参考:戸田智弘著「座右の寓話」
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