最近の勉強で、「この部分をもっと突っ込んで知りたいのに、本にもネットにもどこにも出てこない。」ことがありました。
そこである先生にきいてみたのですが、その言葉をまとまると、
- 世間の凄いといわれる人の、だいたいは物事の7-8割しかわかっていない。理解したつもりになっているだけ。(8割の理解に至るまでにも、相当な努力はしますが…。)
- しかし、本当に大事なこと、本質などというものは、実はその先にあって、そこの段階に至ってしまえば、わけもわからないことだらけである。
- そのため、上の段階(8割以上)の人は簡単にはわかっていると言わないわけで、またそういった人は他の人にも知られていない。
ということでした。
私は、「なるほどなあ」と思ったのですが、
こうしたことは、いろんな分野においていえることであると思います。そして、体についていえば、
たとえば、良い体になってきたといっても、そう思っているだけの場合は多いものです。
そのひとつをあげると、機能がチグハグだった体が整ってくれば、ある程度はその段階での、大きな部品として体を捉えた全身の意識は付きます。
ただし、段階が先に進んで部品の細部にまで意識がいくようになると、それまで意識できていなかった部分がでてくることになります。
それは、今まで気づけなかった違和感を感じられることです。意識の有無がその時点での違和感に着目できるのですね。
良くなってきている部位・意識できる部位はどんどん訓練されて、意識できない部位との体の使い方の差が大きくなります。
不調を抱えた体の場合、緊張を取ろうとする施術がなされる場合が多いです。それではじめのうちは余計な緊張がなくなり、体もラクになる実感を伴いやすいです。
しかし、その先の体を目指したいときに、ここで行き止まるのです。
「緊張を取ってさえいればいい」と思って、順調にものごとが進んでいたのが、いきなり否定されたように、体が変わらない壁にぶち当たるわけです。体が弛緩すればするほどに違和感も出るし、わからなくなりますね(笑)。
そうした大まかに緊張が取れた場合の先には、逆に体を均等に固める訓練が有効となるのですが、それは意識的に固められる部位と固められない部位が如実に分かることになります。また意識できなくて固まっている部位に合わせることとなり、体の均一性をつくります。
さらにいえば、意識するというのは脳でありますから、脳が意識しなければいいのですね。これは意識があるから違和感が脳に上がるということです。
社長(脳)が現場(体)に細かい指示を出しすぎても、実際に働くのは現場ですから、指示に縛られ過ぎて自由に働けなくなります。
体を見る(意識する)のではなく、眺めること(体の感覚情報を見ようとするのでなく拾うだけ)も大事ですね。
簡単にまとめると、体の話だけに限りませんが、人は自分がみようとしているところしか見れない、のです。
そして、見ているところが全てだと思ってしまうのは、他にある世界がとてつもなく広いにも関わらず、自分(の体)を無知の無知(↔️無知の知)に押しやってしまい、成長もなくなるということです。
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スゴいといわれる先生は「ゴッドハンド」と呼ばれたりします。しかし、本当にすごい人は、一般的な人より何段階も上のレベルにいるもので、そのスゴさが一般にはわかるものではないのです。
私は体のことに詳しくなりたく、また自身の身体機能感覚を高めたいと思っているのですが、
そうであるほど、患者さんの感覚と離れすぎたまま接してしまいます。これはただの自己満足にすぎないので、これには気をつけて施術していきたいと思います。
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