一所懸命に努力しているのに、頑張っているのに結果がついてこないというとき、そのプロセスを楽しめることは大切ですが、やっぱり良い結果がほしいものです。そこで誰かにアドバイスを求めることもあるでしょう。
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ある禅の高僧と弟子のやり取りです。
弟子が「教えを得るにはどうしたらよいか」ときくと、高僧はお茶を用意しました。そして、師は弟子の茶碗にお茶を注ぎ始めました。
しかし、お茶がいっぱいになっても師はまだ注ぎ続け、やがてお茶は茶碗から溢れ、テーブルさらには床へもこぼれました。
さすがに弟子は「もうお止めください、茶碗には入りません」と言いました。
そこで師が言うには、「よく言った。お前についても同じことである。私の教えを得ようと思うなら、まず頭の茶碗を空にしなさい」と。
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自身が成長するうえで、人からアドバイスを受けようとするときに、”素直な心”が大切である、ということですね。空の茶碗は素直な心、いっぱいの茶碗は素直でない心を例えている話です。
人から何かを教えてもらって、「はい」「分かりました」とはっきりと返事をする人は少ないものです。「でも」「だって」と言い返す人が多かったり、返事をしていても本心では本気でないこともあります。そして自分勝手なやり方を続けていきます。
師といえども、信用・信頼のおけない人という場合もあるでしょう。しかし、本当に自分のためのアドバイスであったり、自身が成長したいと思うのであれば、受け入れることは必要です。「騙されたと思ってやってみる」とはよく言いますね。
“夢をかなえるゾウ”にも書いてありましたが、こちらでは”靴を磨きなさい”とのアドバイスでした。「何で靴磨き?」と思っても、自分のやり方に固執して成功していないのだから、人の言うことを聞いてやるしかないよね、という話です。
以前にある整体の先生は、「自分の小さなプライドなんか捨てちゃえ」と言っていたのを、思い出しました。
ただ、逆に全てを取り入れようとしても、詐欺に引っ掛かったり、ヘンなことに洗脳されたりというのは、素直とは違いますので、そこはしっかり判断するところです。
“我以外皆我師”―自分以外を全て師とする。良いことだけでなく悪い(反面教師)ことからも、人だけでなく物からでも日々の生活を学びの場にできると理想ですね。
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参考:戸田智弘著「座右の寓話」
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