何か不調があると、例えば肩なら、肩まわりの重さ・かたさなどの似たような症状の場合に”肩こり”ということになります。名前があることで症状を客観的に整理することができます。
逆に症状に名前があることで、その範囲内での理解となり、症状は人それぞれなのに、肩こりと一括りにしがちです。
また、元気と思っていた人が、自身の体と同じようにされている症状をきいた場合、自身の体はおかしいのではないか、となってしまうこともあります。
(関連:耳鳴り)
施術のときには症状にとらわれて、その症状をよくしようとなりがちです。いま目の前のその人やその人の体という個別的な状況を忘れてしまうのです。
私自身もそうですし、患者さんも自身の体に向き合ったり、興味を持ちはじめても、自身との一体感が薄れやすくなってしまいます。気をつけるべきところですね。
不調を抱えてつらいですが、それを含めて生身の体の感覚を感じられているということです。体の自然な感覚を感じていると、よい体になっていったときに、体の充実感を得やすいですし、そのよい体をもって日々の生活も充実していきます。
何か強い刺激を求めたり、物質的な満足を追い求めたり、生活の空虚を埋めようと外へと目が向きがちで、そして体を壊してしまうのです。
自分自身の体ですから、体に聞いてみたりと目を向け、体を他人に任せすぎず、また他人の言いなりになりすぎないように、自身の体と付き合っていきたいなと思ったりしています。
コメントを残す