会話のズレ

会話をしていて、話がかみ合わないという場合、両者がてんでんばらばらの場所をみていることがあります。
それはたとえば、一般論か具体例かや、前提の相違などや、専門領域や業界、性別の違いなどでも見ているところが違ってきます。

また、人は自分が見ている範囲(現象やモノ)が実際にはとても狭い世界ではあるのですが、それを世界のすべてであると思って話をしやすい、ということにも注意が必要です。

抽象か具体かということでは、マグロ・イワシ・サケ・サバというものがあったら、それらを抽象化すれば、魚ということになるわけですが、さらに魚を抽象化すれば生物といったようになります。具体化はと言えば、その逆になります。もっと細かくレベル分けをする場合も人によってはありますね。

こうしたことで、会話のなかでは自分はマグロの話をしているのに、相手は魚全体を見て話をしていたら、その話はかみ合いません。
それぞれが魚の種類の話から抽象化しても、魚全体を見ている人と生物を見ている人とでは、話がかみ合いません。
具体レベルでも、マグロとイワシで見ているところが違えば、話がかみ合いません。

抽象レベルの人はずっと抽象レベルの話を、具体レベルの人はずっと具体レベルの話を続けてると、話がズレたまま進んでしまい、結局平行線で終わることにもなります。

(ちなみに、抽象レベルで話をしている人は、具体レベルの人がどこを見ているのかに気づきやすいのですが、具体レベルの人はなかなか抽象度を上げられないとされます。)

これは抽象か具体かのどちらがいいというのではなく、相手が別の場所を見ていたことに気づけると、理解を合わせたりギャップを埋めることができるのですね。

そうなるためには、抽象度を一段階上げた上位目的が揃っているかを確認するといいですね。
分かりやすい例でいうと、「手段と目的」です。手段だと思っていることが、他の人にとっては目的だということはよくあります。

おカネを稼ぐのは手段なのか目的なのか、売上を上げるのは手段なのか目的なのか、です。
売上でいえば、売上を上げる必要の時は目的となり、その先に目的があるのであれば手段ともなり、その時々でも上位目的は変わりますね。

以上のようなことから、会話のズレがあって、話を合わせようとすることは、コミュニケーションにおいて大事なことではあります。
しかし、理解をしようとせずに、相手がよく分からないことを言う人であると思ってしまうことは、自分自身が理解しようとできないバカであると言っているようなことでもありますね。

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参考:佐渡島庸平/細谷功著「言葉のズレと共感幻想」

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ぶちこふ
大学生時代は解剖学教室で骨形態の研究、査読論文執筆掲載。元日本解剖学会員、元健康運動指導士。 美容整体院での施術歴が長く、現在はフリーの整体師となり、日本古来の療術にハマっています。 技術・知識・人間性総じてまだまだ発展途上ですが、向上していくよう精進します。