私の例でいうと、新人施術者への技術指導が行われるときに、指導係を任されるときがあります。こうしたとき新人の施術者は、昨日はあの先生、今日は私、明日はこの先生からなどと、いろんな先生から教わることもよくあります。
そうした場合に教えようという側は、「昨日までに○○(手技)をレクチャーした」のように引き継ぎがなされることになります。
で、この例でいうと”レクチャー”という言葉が問題となってくるわけです。レクチャーと言っても、さっと概要的に新人に伝えているだけなのか/手技の練習を開始しているのか/ある程度は一人でできるようになっているのか、同じレクチャーという言葉でも定義の違い、ズレが生じてしまうのですね。
そこをすり合わせておかないと、新人からしたら「そんなこと教わってない」とか「全然先に進まないな」とか思ってしまい、またスムーズな研修となりません。
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言葉は抽象化の産物のため、人によって定義が違います。それがコミュニケーションギャップの一因になっています。
ー「仕事」と「遊び」→全然別物だという感覚の人もいるし、遊びの延長が仕事の人もいる。
「成功」と「失敗」→成功していなければ失敗だと捉える人もいるし、どちらも行動していると捉える人もいる。
もっと視野を広げると、人間からすれば猿やチンパンジーは人間と違う動物だが、他の動物から見れば同じ(類人猿)に見えているかもしれない。ー
お互いに言葉をそろえて話をしていなければ、いろんな人がいたり価値観が異なるなかで、話が噛み合わなくて当然です。
こうしたすれ違いの原因を確認していくには、”ダブリング”(写真)というものが有効となります。ダブリングで人の思考特性の全容が把握できるわけではなく、可視化できるのは一つの側面にしかすぎないのですが、シンプルな構造のために違いが明確となります。

ダブリングは、数学のベン図のようですが、 ふたつの言葉の関係性を円で表現し、それによって定量比較(どう考えているのかを可視化)ができるというものです。
たかが言葉、されど言葉で、言葉だけでわかり合おうとしても、限界があります。同じ職場や家族だとしても、いかにわかり合えていないか、またそうしたことを前提とすると、話し方や伝え方などコミュニケーションの仕方の意識が少し変わってくるのでしょう。
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参考:「言葉のズレと共感幻想」細谷功/佐渡島庸平著
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